特集

写真集『日々 “HIBI” TSUKIJI MARKET PHOTOGRAPH TAKASHI KATO』の魅力に迫る〜「グラセット・エフエム」技法が生み出す新しい印刷体験〜

写真集のデザインも、驚きの連続

この写真集で語らずにはいられないのは、造本、デザイン面での仕掛けがいっぱい潜んでいることだ。その種明かしをデザインを担当された髙谷氏、岩松氏に語っていただいた。

お話の中で一番驚いたのは、カバーや表紙の表面(印刷面)に、書籍では常識になっているPP貼り(フィルムコーティング)やニス引きの加工が施されていないことだ(写真8、9)。PP貼りは、書籍の流通段階での擦れや汚れ防止のために、ほとんどの書籍のカバーに施されている。一部の文芸書では、紙の質感を残すためにPP貼りを避けてニス引きが採用されることもあるが、本書では「グラセット・エフエム」印刷によるインキの質感やタイトル文字の箔押しの効果を読者にダイレクトに感じてもらうために、カバーや表紙の印刷面にこれらのコーティング加工を一切行っていない。

「しかしながら強度は必要なので、カバーと表紙の表面ではなく、裏側にPP加工が施されています。流通段階での保護は、本全体をシュリンク包装して確保しています」と髙谷氏は説明する。だが、この工程は製本工程上での課題があった。表紙の用紙は、上製本の表紙の芯になる厚紙にボンドで貼り付けるのだが、表紙の裏側がフィルム素材であるため、「ボンドの強度を調整して貼り付ける必要があった」とサンエムカラーの篠澤氏は説明する。

(写真8、9)
カバー(ジャケット)と表紙。PP貼りやニス引きの加工が施されていないので、厚盛のインキの効果をダイレクトに確認できる。紙に触れるとアート紙のやさしい質感が伝わり心地よい。インキ面を指で触わると質感の違いを味わうことができる

デザイン面に目を向けると、カバーや表紙にある『日々』のタイトルは白地の紙に箔押し加工(顔料の白箔)によって表現されている。このタイトルは視覚的におもしろく、愛着を覚える。文字の形は江戸の角文字から着想を得たそうで、四角の中に隙間なく文字がデザインされている。カバーをはずして表紙を見ると、タイトルの形が長体になり、違ったデザインが味わえる。

「角文字は半纏などにあしらわれている文字です。隙間なく空間いっぱいにデザインされた文字は、歌舞伎などのお芝居でお客さんが隙間なく埋まっている様を表していますが、市場も人が多く集まるところなのでこの発想をタイトル文字に踏襲しました」と髙谷氏。

ページをめくっていくと、最初に現れるのが巻頭言、テキストだけのページが4ページ続く(写真10、11)。テキストは箱組で、四角形の中にぴったり収まっている。日英の文章が連続して流し込まれているのだが、とても心地よい。その秘密をデザイナーの岩松氏が説明してくれた。

「テキストの箱組みの形は写真のフォーマットと共通しています。この後に続く写真のフォーマットに合わせているので、ページネーションに一貫性が生まれています。前の2ページと後の2ページでテキストサイズが違っていますが、文字数の異なる原稿をいかに必然性をもったレイアウトにまとめるかを考えた結果です」。テキストのみの誌面であるが、ページを少し遠くから眺めると、テキストブロックが絵的に見えてくる。このルールは、最後の「あとがき」と「奥付」のページでも繰り返されている。

また本書が扱っているテーマが築地の歴史と現在であることから、書体の選定も注意深く行っている。「伝統的な書体とモダンな書体をミックスさせて、写真から受ける印象と違和感がないように合成フォントを作りました」と岩松氏。以下のキャプションで使用した書体の詳細を掲載したので、参考にしてほしい。

日英のテキストの境界には改行の区切りがなく、連続して流し込まれていることにも驚いた(本来こうした組み方はタブーである)。この手法により、テキストブロックの四角の形がより強調されて見える。さらに日英で同じ行間を維持し、可読性が損なわれないように書式を注意深く決定している。常識を打ち破った大胆なフォーマットである。

(写真10、11)
写真集の巻頭言のテキストは整然とした箱組みである。この形は本文の写真のフォーマットとも一致する。使用した書体は以下の通り。
和文漢字・かな:りょう/和文約物:リュウミン M-KL/和文中 数字・欧文:太ミン A101/欧文:Akzidenz-Grotesk BQ Regular/章ナンバー:Akzidenz-Grotesk BQ Extended Regular

写真が続く本文ページは5つのセクションで区分けさて整理されている(写真12〜16)。各セクションのタイトルは数字が振られ、説明はすべて写真に委ねられている。こうしたページネーション(ストーリー)を考える作業は写真集を作るときの醍醐味だろう。

(写真12)
セクション1は、場内の空間を撮った写真を集めている。冒頭の写真は築地から豊洲の方角に向けてシャッターを切ったもの。築地市場の未来を暗示しているようにも見える
(写真13)
セクション2は、場内で働く人や買う人を中心に構成されている
(写真14)
セクション3は、市場に集まる魚をクローズアップ
(写真15)
セクション4は、市場の外の様子を集めている
(写真16)
セクション5は、築地市場ならではの「物」たちに焦点が当てられている

「加藤孝写真展『日々』」

2017年8月22日(火)〜9月2日(土)の期間、東京・原宿のピクトリコショップ&ギャラリー表参道で、「加藤孝写真展 『日々』」が開催されている。こちらのギャラリーでは、インクジェットプリントによる写真が展示されているほか、ターレに乗って築地市場を撮影したムービーも上映されている(写真17〜19)。

インクジェットプリントは、書籍とは異なる印刷手法であるが、両者を比較して眺める楽しみもある。今回の展示で使用されたプリント用紙は「GEKKOブルー・ラベル」で、深みのあるスミが再現されている(写真20、21)。

ピクトリコショップ&ギャラリー表参道は2017年7月にオープン、直営のショップやプリント工房の相談窓口を開設、さらにギャラリースペースのレンタルも行っている。うれしいサービスとして、A4、A3ノビサイズの用紙であれば1枚単位でのバラ売りを行っている。パック売りだとどうしても高額になってしまうので、少部数でテスト印刷したい場合にはありがたいサービスだ。

(写真20、21)
ショップでは、さまざまなプリント用紙の見本が陳列され、用紙を購入することもできる。額装やギャラリースペースのレンタルも行っている。右の写真は「GEKKOブルー・ラベル」の印刷見本

モノクロ写真は、黒の表現力が焦点になるが、展示されたどの作品も黒が豊かに表現されていることに驚かされる。会場で加藤氏に展示作品のプリントについてお話を伺った。「A1以上の大判はピクトリコに出力を依頼しましたが、A2サイズの写真は仕事場のプリンタで印刷しました。但し、インクと用紙は同じものを使っています。仕事場ではキヤノンのインクジェットプリンタを使っていますが、12色のインクでモノクロ写真をプリントする仕組みなので黒の表現力が豊かです」と加藤氏。

加藤氏に今回撮影した写真について尋ねてみた。「今回撮影した写真はどれも個人的なもので、映し出されたものは僕の内面でもあるのです。不思議なことに、築地でファインダーを覗くと、30年以上前のニューヨークや台湾のイメージが甦ってきました」

築地市場がなくなってしまっても、写真集は物理的な「物」として遺る。この先も写真集を見る多くの人と感情を共有することができる。写真展の会場には加藤氏が寄せた言葉が掲示されていた。この写真集が生まれたきっかけや加藤氏の思いが綴られたテキストである。最後に引用させてもらい、本稿を終える。

「この『日々』という写真集、写真展をめぐる話は、3人の仲間から始まった。以前は築地にいて、今は世田谷でオイスターバーを営む廣岡好和氏。そのお店の常連のアートディレクターの髙谷 廉氏。そして僕。無くなるかもしれない築地を何かの形で遺そうと話し合った。写真展なのか? 写真集なのか? そして築地に足を踏み入れた。レンズ越しの風景を見ているうちに、遥か昔の感覚が甦った。30年以上前のニューヨーク、台湾。僕の中に同じ感覚が。混沌と秩序。カオスとコスモス。そこに同居する相反する物。矢印は秩序。タイヤ痕は混沌。シャッターを押しながら、風景を撮っているのか、自分自身を見つめているのか。自問自答しているうちに築地にのめりこんだ。次々に湧き上がるイメージ。オートマチックに時間と空間を切り取っていた。この写真たちは僕の内面です。しかし、10年、20年、時間が経つにつれて築地を遺すことになると嬉しい。人も物も、永遠に残ることはできないのだから。 加藤 孝」

写真集『日々 “HIBI” TSUKIJI MARKET PHOTOGRAPH TAKASHI KATO』スタッフプロフィール

●企画:廣岡好和(ひろおか よしかず)
千葉生まれ。東京・世田谷の松陰神社前で「マルショウアリク」という牡蛎屋を営む。
www.facebook.com/yoshikazu.hirooka.5

●フォトグラファー:加藤 孝(かとう たかし)
湘南生まれ。日大芸術学部写真学科卒業。
作家、映画監督、音楽家などのポートレイトや演劇、歌舞伎のポスターを手がける。
主な受賞に、読売演劇広告賞優秀賞、読売演劇広告賞最優秀賞、他。
893537187dc0bd68.lolipop.jp

●アートディレクター:髙谷 廉(たかや れん)
仙台生まれ。東北芸術工科大学卒業。
good design companyを経て、AD&D設立。
主な仕事に、妊活プロジェクト「THE LOVING INSTRUCTION MANUAL」、ファッションキャンペーン「FLOWER LUSH IN ROPPONGI HILLS」東急文化村25周年V.I.、他。
主な受賞に、CANNES LIONS、ONESHOW、N.Y.ADC、N.Y.TDC、D&AD、JAGDA新人賞、日本タイポグラフィ年鑑グランプリ、他。
www.ad-and-d.jp

●グラフィックデザイナー:岩松亮太(いわまつ りょうた)
札幌生まれ。多摩美術大学卒業。
アキタ・デザイン・カンを経て、2013年独立。建築にまつわるグラフィックデザインや、ブックデザインを中心に取り組む。
www.iwamatsuryota.com

TEXT:生田信一(ファー・インク